2002/11/04
我が家の写真館(第4回)

 押入れの奥から懐かしい写真とネガが出てきた。
 それらの写真からシリーズでお贈りしようと思う第1回目。(笑)

【バイク編】

 私のもバイクに乗っており、、そして私の長男三代のバイク好きである。
 「我が家の写真館(私の幼い頃)」に掲載した、私が幼い頃にバイクに乗せられた写真がある様に、私の長男も1歳の頃にバイクに乗せた写真がある。
 ↓何と見事な前傾姿勢だ!(爆)


 私が二輪の免許を取ったのは1971年で、当時は排気量の区分けなど無いどころか、ヘルメットさえ着用義務が無かった頃だ。(笑)
 最初は、父のCB125に乗っていたが、自分のバイク、もっと排気量の大きいバイクが欲しかった。
 しかし、バイクを買ってもらえる程、我が家は裕福ではなかった。
 そんな時、父の知り合いの業者からCB450-K0(ケーゼロ)の廃車を見つけてくれたので、それを自分で直すことにした。
 ←参考資料
 CB450は1965年に登場した。
 見かけはかなりクラシックだが、エンジンはDOHC2気筒の450ccで、馬力は43ps/8500rpm、最高速は180Km/hと、当時としては高性能だった。
 その後、1969年のCB750登場と同じ頃、K1(ケーワン)タイプとエクスポートが登場して45馬力となった。

 当時、我が家にはクルマが無かったので、当然車庫なんてものも無かった。
 そこで、私の部屋の中で修理を始めた。
 と言っても、四畳半より少し狭いくらいの部屋だったので、バイクを置いたら寝るスペースも無い状態だった。
 更に、完成してからバイクを外に出すのがもっと大変だった。(爆)

 K0を直しているうちに、エクスポートのFフォークとタンクが手に入ったので、K0のエンジン・フレームにエクスポートのFフォーク・タンクという組み合わせの「なんちゃってエクスポート」になった。(笑)
 手に入ったと言っても、事故車のモノなので、タンクは凹み、フォークは多少曲がっていた。
 タンクは自分で板金、パテ盛り、研磨、塗装して、フォークは適当に(爆)曲がりを直して使った。
 塗装は、確か・・・金色と言うかオレンジというか、そんな派手目な色にしたと思う。

 このバイクは1972年に完成したのも束の間、グレーダーと正面衝突して大破し、私も1ヶ月ほど入院した。(^○^;)

 1973年、友人から再びCB450を安く譲り受け、2代目CB450となった。
 ↓このバイクもあちこち修理し、カラーリングもオリジナルに塗り替えた。

 塗色は、写真では分かり辛いが、黒とシルバーに塗り分けた上からクリアーの赤を吹いた「アズキ色」だ。
 当時、この色が気に入って、パターンが異なるが↓3代目のCB450も同じ手法で塗装した。


 3代目に乗っていたのは1974年で、当時私はバイクで放浪の旅をしていた。(笑)
 ↑この写真は、金沢の「もっきりや」という喫茶店の前だ。
 「もっきりや」は、岡林信康が京都に作った「ほんやら堂」の姉妹店である。
 当時私は、京都の”聖家族”というヒッピーのグループの世話になっていた。
 ヒッピーと言っても、もはや知らない世代の方が多いだろう。
 ↓路上で、手作りのアクセサリーなどを売りながら日銭を稼ぎ、旅をしていたのだ。(^○^;)


 この話は長くなるので(笑)、またの機会に掲載する・・・かも知れない。