第4回:過去・現在・未来…時空とは?


【ちょっと寄り道】(笑)

 私は高校生の頃、2度バイクで怪我をして、2度ともデジャヴを体験した。

 1度目はオフロードの練習中にジャンプに失敗して投げ出された。
 仰向けに倒れて呆然としていたら、一緒に練習していた友人がやってきて…「喋らない方がいいよ、唇が取れそうだ」と言われた。(^○^;)
 彼のバイクの後ろに乗って彼が知っていた開業医院へ連れて行ってくれた。
 医院は休みだったが、彼が医者に交渉してくれた様な気がする。
 薄暗い診察室で待っていると、ステテコに白衣を羽織ったオヤジが現れて、唇に麻酔の注射を打たれて縫われた。
 この医院には初めて来たはずなのに、この時の状況は『確かに前に見た事がある、日記にも書いてある!』と思った。

 2度目は、跨線橋を下ってきた時に、対向してきたグレーダ(除雪車)が右折してスタンドに入ろうとして前を塞がれた。
 ブレーキをかけたが間に合わずに衝突。
 この時は、救急車で運ばれた。(^○^;)
 左の鎖骨を骨折して、看護婦がキャピキャピ言いながら(笑)石膏でぐるぐる巻きにされた様子や、右足の膝がパンパンに腫れ上がっているのに、2階のレントゲン室まで歩いて行けと言われた事など、この時も『確かに前に見た事がある、日記にも書いてある!』と思った。

 で、退院後に日記を見てみたら、そこには・・・・”思い込みの世界”と書かれていた。・・・…((((^○^;)

 この2つの経験から、デジャヴは脳がショックから脳自身を守る為の幻想現象だと思うようになった。
 臨死体験というのも、暗闇の先に眩しい明かりが見える…とか、川の向こうで懐かしい人々が手招きしている…とか、多くは似たような光景を見る様だが、これも、極限状態で脳がショック状態から自身を守ろうとする保護機能なんじゃないかと思う。


 さて、小学生の頃に悩んでいたもう一つの「無限」は、『時の流れ』である。(笑)
 ある日、私は母に「人はいつかは必ず死んでしまうの?お母さんも死んでしまうの?死ぬ時は苦しいの?」と聞いた。
 母は「人は誰でもいつかは死んでしまうよ、でも歳をとって役目を終えて、おばあさんになって静かに眠るように死んでいくから苦しくはないよ」と言われた。
 そんな母は、私が26歳の時に、ガンで1年間苦しんで亡くなってしまったのだが・・・

 話を戻して、小学生の私は思った。
 いつかは母も死に、いつかは自分も死に・・・
 それでも、世界は続いて行く・・・
 私が死んだ後も、何年も、何十年も、何百年も、何千年も・・・・
 そんな事を考えていたら、胸が苦しく、切ない気分になった。(^○^;)

 自分が自分であるという自我の意識。
 これは、目の後ろ辺りに存在している様に感じる。
 自分の目で見た様子を認識し、耳から聞こえる音を理解し、自分の手や足を動かしている『自己』という存在が、自分の頭の中にいる。

 世界中に何十億人といる人。
 でも、自分という意識は一人であり、他の誰でもない。
 自分の両親の子供として生まれてきた、自分という存在。
 何故、自分は自分として存在しているのだろう?

 何万年もの人類の歴史の中で、今という時代に存在している自分。
 何万年の歴史の、時間的な最先端『現在』に存在している自分。
 それが何故か、すごく奇跡的なことなんじゃないかと思った。

 何故なら、時間には理論的には「過去・現在・未来」が存在するが、現実は『現在しか存在しない
 たとえ1秒でも過去は過去であり、”現実として存在しない”のである。
 意味判ります?(笑)
 例えば、ソファーの右側に座ったとします。
 そして、ソファーの左側に移動したとします。
 あなたは、ソファーの左側に存在しますが、右側には存在しませんよね?
 ましてや、『未来』はやがて現在にはなりますが、現在になった瞬間に過去になり、『未来』そのものは現実として存在しません。

 つまり、現実の実体世界』というのは、絶えず『現在』しか存在しない訳です。
 人類が誕生して何万年の時間、宇宙が誕生して百何十億年の時間の中で『現在の現実世界』に自分が存在しているという奇跡的な事実。
 そう考えると凄く不思議になりませんか?(笑)

 では何故こんな事を感じるかというと・・・私たちが存在している『三次元』の世界では、時間は『現在しか存在していない』からです。

 ここで、『n次元世界』を考えてみましょう。

 『0次元』はの世界です。
 「」←これは点でしょうか?
 いえいえ、拡大すれば1ドットの「」であり、面積がある四角形です。(笑)
 『0次元』というのは長さも面積も無い、つまり巾も高さも無い『位置』だけが存在する世界です。
 ですから、三次元の我々には「目に見えない(物体として存在しない)」世界です。
 ま、概念的に強いて言えば、非常にシャープな何かの「角(カド)」ですかね。(^_^;)

 『一次元』はの世界です。
 「」←これは線でしょうか?
 いえいえ、拡大すれば「■■■■■」であり、四角が繋がっていれば長方形です。(笑)
 『一次元』というのは面積が無い、つまり巾が無い『長さ』だけが存在する世界です。
 ですから、三次元の我々には「目に見えない(物体として存在しない)」世界です。
 ま、強いて言えば「物体と空間の境界線」ですかね。(^_^;)

 『二次元』はの世界です。
 「」←これは面でしょうか?
 いえいえ、液晶モニタやCRTの表面は、実は立体的な構造を持っています。
 もっと拡大すれば、表面は完全に平滑ではありません。
 もっと拡大すれば、原子の構造は・・・・って、もういいって?!(爆)
 例えば、紙に鉛筆で何かを書いた場合でも、紙自体が「厚み」を持っていますし、鉛筆で書かれた「何か」も、炭素の粒が紙の組織の表面に重なっていたり、筆圧で紙の表面が凹んでいたり。(笑)
 『二次元』というのは体積が無い、つまり厚みが無い『面積』だけの世界です。
 ですから、三次元の我々には「目に見えない(物体として存在しない)」世界です。
 ま、強いて言えば「物体の表面(空間との境界)」ですかね。(^_^;)

 『三次元』は立体の世界・・・つまり、我々が存在しているこの世界です。

 さて、0次元の世界に住んでいる人?には、長さ(距離)が存在しませんから長さという概念もありません
 ですから、0次元の住人は移動できません。
 しかし、0次元の世界そのものは移動できるかも知れません。
 では、移動した間の『時間』が同時に存在したら?・・・そこには『線』=一次元の世界が出来上がります。
 但し、世界が移動しても、そこの住人にとっては「時間が経過しただけ」であり、「長さ」という概念はありません。

 さて、一次元の世界に住んでいる人?には、面積が存在しませんから面積という概念もありません
 ですから、一次元の住人は線の世界に沿って移動できますが…線に沿った移動しかできません。
 しかし、一次元の世界そのものは移動できるかも知れません。
 では、移動した間の『時間』が同時に存在したら?・・・そこには『面』=二次元の世界が出来上がります。
 但し、世界が移動しても、そこの住人にとっては「時間が経過しただけ」であり、「面積」という概念はありません。

 さて、二次元の世界に住んでいる人?には、体積が存在しませんから体積という概念もありません
 ですから、二次元の住人は面の世界に沿って移動できますが…面に沿った移動しかできません。
 しかし、二次元の世界そのものは移動できるかも知れません。
 では、移動した間の『時間』が同時に存在したら?・・・そこには『立体』=三次元の世界が出来上がります。
 但し、世界が移動しても、そこの住人にとっては「時間が経過しただけ」であり、「体積」という概念はありません。

 さて、三次元の世界に住んでいる我々には、四次元が存在しませんから四次元の世界は判りません
 ですから、三次元の住人は立体(空間)の世界に沿って移動できますが…空間に沿った移動しかできません。
 しかし、三次元の世界そのものは移動できるかも知れません。
 では、移動した間の『時間』が同時に存在したら?・・・そこには四次元の世界が出来上がります。
 但し、世界が移動しても、そこの住人にとっては「時間が経過しただけ」であり、「四次元」という概念はありません。

 いや、想像できますよ!

 球体を移動したとします。
 移動した間の時間が全て存在したとしたら?
 両端が球形で、その間がチューブの様な細長い物体になる筈です。
 そして、球体の一端は過去で、もう一端は現在です。

 つまり、四次元の世界は、宇宙が始まって以来・・・
 もしかしたらその前の
 永遠の過去から現在までの全ての物体の誕生〜移動〜消滅が全て存在する世界です!

 やっぱり想像できませんか?(爆)

 さて、今、さらっと書き流しましたが…(笑)
 「宇宙が始まる前から」と書きました。
 ビックバン宇宙論では「無の空間から物質が生まれた」事になります。

 え〜?・・・無から何かが生まれるぅ〜?
 そんな事あるんかいな?(笑)

 でも、そうでないと、「宇宙が生まれる前は?その素は?」という素朴な(笑)疑問にぶち当ります。

 で、『無から何かが生まれる』について考えてみましょう。

 二次元の世界を、三次元の球体が通過したとしたら、二次元の世界の住人にはどう見えるでしょうか?
 つまり、ある『』を通過する『』が、面にどんな姿を現すか?って事です。
 何も無い『面』に突然『円』=球の断面が現れます。
 その円は、どんどん大きくなり、球の中心が面を通過すると、今度はだんだん小さくなります。
 そして、最後は完全に消滅して円は無に戻ります。

 では、三次元の世界を四次元の世界が通過したら?
 百何十億年前の『現在』が、当時『無』であったこの三次元の世界に突然現れました。
 そして、現在、2006年の『現在』が通過しつつあるのです。

 さて、二次元の住人から見れば三次元の世界は二次元の過去から現在までの時間が同時に存在しているかの様に見えますが、三次元の住人にとっては『普通の?立体の世界』であり、時間は同じ様に流れます。
 同様に、それぞれn次元の住人からn+1次元の世界を見れば、過去から現在までの時間が同時に存在しているかの様に見えますが、n+1次元の住人にとっては『普通の世界』であり、時間は同じ様に流れます。
 つまり、どの次元でも時間は共通に流れるものであって、どの次元の住人も時間軸に沿わない移動はできません。

 つまり、二次元の世界に三次元は存在しない様に、三次元の世界に四次元は存在しません。
 そして、三次元の世界の住人が『時間軸に沿わない移動(時間旅行』をすることは不可能です。

 これが、私の考える『時空世界』です。(笑)