第1回:りろんぶつりがく?
以前から、いつかは掲載したいと思っていたテーマが2つあって、これがその内の1つである。
このテーマは、最終的には「(おいらの)一般相対性理論」に行き着く予定である。(笑)
しかし、私は物理や数学を専攻していた訳ではなく、全くの素人の自論であり、しかも殆どは中学生くらいの時に既にこういう考え方をしていた。(^_^;)
なので、「りろんぶつりがく」と言えるのかさえも疑問だし、もしかしたら「哲学」なのかも知れない。(笑)
どちらにせよ、専門家が見れば「何ぁ〜にを書いているんじゃ!?」って内容かも知れないし、「そんなの常識じゃん!」かも知れない。
第一、こんなものが面白いのかも判らない。(爆)
でも、所詮、個人のホームページなんて自己満足なのだから、これでいいのだ!(笑)
【理論って?…光と音の認識】
数学でも物理でも理系の学問ってのは「世の中の事を客観的に説明(認識)する為のルールでしかない」という事。
そして、重要なのは「客観的にそれを信用(納得)できる説明」であるという事。
この、「ルールでしかない」と「信じる」は、おいらの「りろんぶつり学」では最重要な要素である。
例えば、あなたは”赤い色”を見て「■」(←赤の■です)←この色のイメージを認識できますよね。
(色覚健常者のかたを対象に説明しています)
※.視覚に障害がある方には申し訳ありませんが、文章から内容を読み取って下さい。m(_"_)m
さて、「赤い色」は、果たして本当に誰が見ても■←こういう色に見えているのでしょうか?
色というのは”ある波長の光”ですよね。
つまり、光の波長の違いを、人間の視覚は脳の中で「色というイメージ」に置き換えて理解している訳です。
色に関して客観的に確かな事は波長(周波数)であって、■←こういう色(イメージ)であるという客観的根拠はありません。
意味判ります?(^○^;)
でも、ダレもが赤が■←こういうイメージであろうが、なかろうが全く問題になりません。
■←これを「赤」と認識し、■←これを「青」だと認識できれば何の混乱も起きないのです。
以前、聴覚に障害を持っておられるかたとメールのやりとりをした事があります。
その時、聴覚が無いという事に関して、色々と教えて頂いたのですが、私の疑問は解消されませんでした。
その疑問というのは・・・
文字を読むときは頭の中に言葉(音声)が流れて、物事を頭の中で考えるときは頭の中に言葉(音声)を思い浮かべて考えますよね?
この「言葉で考える」というのは、実際に”言葉を発声している音のイメージ”ですよね?
ところが、先天的に聴覚に障害があるかたは、「音(声・言葉)というものを聞いたことが無い」訳です。
視覚があれば”目で見たモノ(文字)を理解する”という事は可能ですが、音に関しては僅かな振動でしか体感できない訳です。
で、音(音声・言葉)無しに頭の中で考えるというのは・・・そのイメージ(言葉)ってどんなモノなのだろう?(^○^;)
ね、不思議に思えませんか?
しかし、この疑問は相手のかたに理解して貰えませんでした。
私は随分無理な質問をしてしまった様です。(^_^;)
でも今考えてみると、これも「色」と同じ事なんですよね。
健聴者は、言葉を頭の中で「発生音のイメージを再現している」だけであって、実際にはそこに音(鼓膜の振動)は発生していない訳です。
結局、言葉は言葉でしかない。
それにしても、先天的な難聴者のかたが「音声というイメージ」無しで、目で見た形状や吐く息の振動で「言葉をイメージする」というのは大変な苦労があったと思います。