第29回:【番外編】唯一無二と自我
おいらの「りろんぶつり学」は『真理』を求めるものです。
「科学」は、それが単に数学をこねくり回しただけであろうと、
実験結果や実際の事象に良く一致すれば、それは「正しい」と認めざるを得ません。
しかし、「真理」は、
それが人類の役に立とうが立つまいが、
それが『間違いなく正しい』と信じるしかないものです。
例えば、「唯一無二」という言葉を考えてみます。
それが、この世に二つとない、それ一つだけのもの・・・
一般的には、量産品ではなく、
手作りで、再現性が無い偶然性による一品モノですね。
しかし、それを分析し、そうなった理由を解明し、
同じ「偶然」を再現すれば、
全く同じものを創れる可能性は、理論的には不可能では無いでしょう。
一方、量産品であっても、
それらの「個体差」をどこまで追求するかで、
例えば、原子の数まで数えれば、
同じものは2個と無いと言えるかも知れません。(^○^;)
まぁ、『同じもの』という定義をどうするかで、
許容範囲が決まる訳です・・・(^_^;)
しかし、
「定義」や「条件」をどう取ろうと、
この世の中に、『唯一無二』のモノがあります。
例えば『自分の自我』です。
世界74億5千万人を超える人類の、
他の誰でもない『自分』という存在。
いや、人類に限らず、
地球上の全ての生物の中でも唯一無二の自分。
いやいや、この全宇宙の全ての生命の中でも唯一無二の自分。
いやいやいやいや、この宇宙が始まって以来の過去から現在に至るまでの、
138億年間の過去を含めての全宇宙の生命の中でも、
今この「現在」に生きている自分という存在。
そして、おそらくは、永遠の未来に対しても、
今現在のこの時代に唯一存在する『自分』という存在。
仮に、自分の遺伝子を使ってクローンを作成して、
体型も能力も体力も全て全く同じ人間を作り上げて、
自分の記憶・思考力・判断力などを全てインプットできたとしても・・・
そこに、もう一つの『自分自身の自我』が存在する事を想像できるでしょうか?(^○^;)
つまり、「自分自身の意識」が『同時に二か所に存在する』ことを想像できますか?
「多重人格」という症状もありますが、
これは、「二つの人格」が同一人物に存在する事で、
二つの人格は、それぞれ「別の自我」を持つと考えられます。
自我が「一人」なら、単に多面性を持っているだけですから。(^_^;)
この様に、
実験もできず、証拠も無く、検証もできないけど・・・
『間違いなく正しい』と信じるしかないものが『真理』です。
そして、『時空』も、
人類が創造した「概念」であり、
実体が無く、検証もできない「基準」です。
時空の一方、、
『時間』は、
過去から未来へ一様のテンポで進んで行き、
過去へ後戻りも出来ず、
未来へ飛ぶことも出来ず、
『現在(今)』しか存在しないもの。
それが、私が信じる『時間』の定義です。
原子時計が、いかに正確に同じテンポで時を刻もうと、
それは、原子の振動を表示しているだけで、
それ自体が『時間』ではありません。
それが「正確であるか?」の指標が『時間』です。
そして、
「時空」のもう一方、
『空間』も、
直交する3本の直線を座標軸として、
三次元の位置を示す目盛りです。
その目盛りの単位は、何であっても構いませんが、
どの軸(次元)方向も同じピッチの物差しです。
レーザー測量が、いかに正確に直線と距離を測れるとしても、
それが「正確であるか?」の指標が『空間』であり『座標』です。
たとえ、
この概念自体を検証するすべが無いとしても、
それが『正しい基準』だと信じるしかないものです。
【続く】